リストラわいふ@ニュージーランド

恥をかきすて、見栄をすて、人生を楽しむことだけにフォーカスしている 【リストラwifeのリストラlife】をNew Zealandから熱くふんわりお届けします

第2楽章-1 移住したら、なんといっても子どものことが最優先!~子どもたちの初登校

 (これまでのあらすじ)

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日本人が学校にやってきた!

 

晴れて住所が決まった。
これで堂々と日本の友人知人たちに、

 

『私たち、引っ越しました。近くへお越しの際には是非お立ち寄りください』

 の葉書を出すことができる。

 

でも待てよ。

「近くへお越しの際には……」って言ったってねぇ……。

「是非お立ち寄りください……」って言ったってねぇ……。

 

飛行機直行便で11時間もかかるってのに、

「ちょっとそこまで来たもんだから……」

なんてお客さんはいないよねー、と思い直し、

 

そんなうさんくさい社交辞令は抜きにして、本当にウェルカムしたい人だけに、

「遊びに来てね」……と葉書を出す。

  

そして、やれやれ。
これでようやく娘たちが通う学校を決められる。

 

アメリカの学校を6月18日付けで卒業して以来、延べ3ヵ月近くも不登校状態でいる娘たち。はじめの一週間こそ鼻歌を歌っていたものの、すっかり「人恋しい少女」になり果てていた。

 

子どもには「群れたい本能」というものがある。

ところが、親の都合でその大切な本能にふたをせねばならぬ日々……どの学校にも、どの学年にも属さない無所属の身の上に不安を覚えてしまうのは当然と言えば当然。
よく今日までやりすごしてきてくださいました。

 

ニュージーランドに来てからというもの、毎日、会う人と言えば不動産やさんや弁護士さん、いつも通うスーパのレジのおばちゃんぐらいだったもんね。

あちこちのオープンホームに連れられては、車内で待機させられていた日々は、まるで軟禁状態。

彼女たちには誤算だったことだろう。

 

「マミー? ほっとすたっふ(私が以前主催していた不登校児のためのフリースペース)をしてた時さ、

“コドモにはガクシュウをうけるケンリがある! 
オトナは、こどもにガクシュウホショウをしなくてはなりませ~ん” 

って言ってなかった?
ガクシュウホショウってなに?
わたしにももらえる?」

 き、聴いていたのね?
ガクシュウホショウって言葉、よう覚えていたのう!?

 

給食だけが楽しみで学校へ言っていたと思いきや、やるじゃないか!?
よかろう、キミたちの要求をのもう。

ただし、ニュージーランドには給食ないぞ。

 ということで、私たち一家は最寄りの学校へ向かった。

  

娘たち、「ニュージーランドの学校 初登校」に心躍る!? 

 

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みんなで楽しいランチ❤ 5歳児はこんな感じでワイワイ食べます❤

 

ニュージーランドの学校は、1月末日から始まる。

小学校は5歳の誕生日から6年間、
(Year 1-6)
中学校は11才から2年間、
(Year 7-8)
高校は13 才から5年間。
(Year 9-13)

うち、義務教育は15 才 (Year11)まで。

一年は4学期制。

 

 時、3学期の半ば。

 当時11歳だったあんこは中学校に、9歳だったきなこは小学校へ通うことになる。。

 

まずは、アメリカでもそうだったように、入学手続きはスクールゾーン(校区)の学校を訪ねていくのが筋だろう。アメリカでのあの時は、ビザを証明するパスポートと予防接種証明書を持参して入学が許可されたと記憶する。

 

「残念ながら、ニュージーランドにはESL(English as a second language)クラスはないんだって。でも、もう英語は大丈夫だよね、何とかやっていけるよね? 

ただし、ここはイギリス英語なの。アメリカ英語と、ちょっと発音が違うのよ。そこんところ心して取り組むように。わかった?」。

 

「OK! もう私、学校へ行けるならどんながまんでもする!」と、あんこ。

「マミィ、でも、ランチにおにぎりはやめてね、はずかしから……」と、きなこ。

 

アメリカでの登校初日、おにぎりを持たせたら、周囲から、

「う~、ヤック(気持ち悪~い)」

 と言われたことが、どうやら彼女にはトラウマになっているらしい。

 

「わかったよー。きなこは、キュウリとハムのサンドイッチが好きなんだよね」

 「うん! ヨーグルトやチョコレートバーも忘れないでね」

「OK」

 

「それから……」
「OK」

「それから……」
「OK」

 の会話を2,3回繰り返して、少々緊張気味のきなこも登校スタンバイOKと相成った。

 

「さぁ、学校へ行こう!」

彼女たちの好きなテレビ番組のタイトルを声高に叫んで、一同、活を入れる。 

 

ラッキーなことに、小中それぞれの学校まで、徒歩でたったの5分。
私たちは、アポも取らずにてくてくと学校に向かった。

だって、下見するだけー、のつもりだったから……。
だってだって、ただのごあいさつのつもりだったから……。

  

なのに、なのに。

アメリカでもそうだったように……。

 

子どもたちは、そのまま学校へ残ることになった……。

 

 アメリカでの初登校日もすごかったが、ニュージーランドでのそれもすごかった。

 

教師が娘たちを生徒たちに紹介するやいなや、あっ、っという間に、あんこもきなこも子どもたちの渦に巻き込まれ、見えなくなっていったのである。

 

「ハロー、きなこ。何して遊びたい? こっちにいろんなボールがあるよ」

「ハロー、あんこ、学校の探検ツアーしようか?」

 

「ハロー、ミセス・スギウラ。日本ってどこ? どれくらい遠いの?」
「私のいとこが今、日本で英語を教えているよ。日本には、世界中の食べ物があるってホント?」

 

「ミスター・スギウラ、カラテできる? ボク、今習ってるんだぁ」

「ミスター・スギウラ、カタナもってる?サムライできる?」

 

「日本のお店は、24時間オープンしてるってホント?」

「お父さんの車はトヨタで、お母さんの車はホンダだよ。
日本の車はとっても強いってお父さんが言ってた。それホント?」

 

「日本人は、毎日着物を着て学校へ行くの?」
「お~い、みんなぁ! ボクらのクラスにジャパニーズがやってきたんだぜ! すごいだろ!」

 

あっといいうまに、娘たちの姿は子どもたちの円陣に吸い込まれ、
レタス、ハム、卵のサンドイッチの入ったバックパックを背負った背中が小さくなっていった。

 

 ニコニコ顔で彼らを見つめている校長先生に、カンタが言う。

「あのー。これが日本から用意してきた書類です。足りないものがあれば至急用意します。いつから学校に通えるでしょうか?」

 

校長先生は、ニコニコ顔をそのままにして私たちに振り返り、手渡された書類にざっと目を通す。

 

「そうですねー。

あら。予防接種の証明書があるし、必要な書類はほぼそろっているじゃな~い!
もう今日からでもウェルカムですよ。その他の必要な書類はお迎えに来てもらうその時にお渡ししましょう。あしたは8時半までにオフィスに来てもらおうかな。

んじゃ、今日は3時にお迎えに来てください。
わからないところはいつでも電話で聞いてくださいね。
おつかれさま~!」

 

 9月10日。

娘たちの登校記念日はこうしてあっけなくクリアされた。

引っ越しから4日後のことでした。

 

すばらしい即行劇でございました。

第1楽章-6 ニュージーランドの家で大発見!~住んでみてわかった「ショッキングリスト」(;^_^A

(これまでのあらすじ)
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キッチン、トイレ、シャワー、玄関の不都合

1・「どうしてこんなにシンクが小さいのさぁ」
2・「水と熱湯が別々のタップじゃ、コップをぬるま湯で洗えないじゃん」
3・「まな板立ても包丁差しもな~い!」
4・「トイレに手を洗うところがないぞぉ」
5・「便座が冷た~い」
6・「くっさ~。でも換気扇がない!」
7・「お~い、シャワーが水になってきたぞ~!」
8・「バスタブのお湯、冷めて来ちゃったよ、さぶ~っ」
9・「ドライヤー用のコンセントがないぃ」
10・「玄関のどこで靴を脱げばいいの?」
11・「あっ、靴が片方なくなってる!」

 

これらはすべて、引っ越しの翌日にあげられた悲鳴である。
なんせ築30年の家ですからね。古いってのは覚悟しておりました。

が、古いってことは、昔の風習に忠実なカタチで存在しているわけで、つまりは、われら何でも至れり尽くせりの日の丸先進国からきた移民族には解せない文化がそこここに隠されておるわけで。


わたしたちは、即刻その謎を解明し、可能な限り快適な暮らしを保障するべく対策を練らねばならない。
っったく、こういう不都合は住んでみなければわからないものである。

一番、不便を実感したのは「水事情」。
ニュージーランドでは、家電のほとんどが電気でまかなわれているとは聞いていた。
なぜなら「ニュージーランド人は、ガスはおそろしいもの、と思っているから」と言う説があるが、本当のところは「発電」にある。

ニュージーランドは、非核政策を掲げアンチ原子力を徹底している国なので、発電の真髄はもっぱら「水」。水力発電なのだ。

火力と地熱もがんばっているが、割合で言えば25パーセントに過ぎない。
おまけに、われらが住む北島にはダムがない。つまりは、電気を南島からわけてもらっているわけで、となると、南島で水不足が発生すると、とたんに電気の危機に直面する。

なんて心細いことよ……と今でも思う。


台所のコンロは電気コンロがほとんどだし、風呂も電力でシリンダーに溜めた水をあたためて供給している。「水不足イコール電気がストップ」の公式にならって暮らしているニュージーランド人には、「水」はとってもとっても大切な資源なのだ。

 

 

さて、こうした水事情をまず念頭において、前記の悲鳴を解析しよう。

1・「どうしてこんなにシンクが小さいのさぁ」

この叫びは、悲しいかな築30年の家ゆえの不都合である。
築10年の家あたりからは、日本と同等の大きなシンク、もしくは二連になったシンクが、でで~んとシステムキッチンにはめ込まれている。お湯も、レバー式で楽々温度調節ができる。

では、なぜに、旧式台所は、かようにシンクが小さいか。
答えは、「シンクにお湯を張って洗剤液をつくり、そこで食器をじゃぶじゃぶ洗う」
からである。

シンクがあまりに大きいと、張らねばならんお湯がたくさん必要になる
しかるに、シンクは小さい方がよろしい、という節水の一対策なのだ。
そして、さらに驚異なのが、このシンクでじゃぶじゃぶ洗った後、彼らは「すすぎ」をしない。ティータオルで泡まるけの食器をそのままキュッキュッとふき取っておしまい。そしてそのタオルは、ずぶずぶに濡れて、もはや吸水力は望めない、という状態になっても替えられることはない。

2・「水と熱湯が別々のタップじゃ、コップをぬるま湯で洗えないじゃん」

イギリス博士のリンボウ先生のご本で、この食器洗い法がイギリス文化から流れているのは知っていた。しかし、この「法」が、学校や障害者施設での調理自習の際にも、まかり通っているのを目の当たりにしたとき、私の心中は驚きから非難に変わった。

教師たちよ。
あなた方は、自宅でもこの「じゃぶじゃぶキュッキュ」で済ませているのですか? 
これ、絶対に体に悪いよ。

想像してみてくださいよ。

シンクに、ちょっと熱めのお湯が張ってあります。
食事を終えたメンバーがそれぞれ使った食器を、どぼんとお湯の中へいれます。この時、当然、他に水道がないので予洗はできません残飯は捨てるにしても、とにかく、どぼん、です。

じゃぶじゃぶ洗ってティータオルで拭き取って食器棚に納める。
一人が洗い、そしてまた一人……。

さぁ、3人目あたりから、ちょっと熱めに張ってあったシンクのお湯はどうなっているでしょう?

 

(みんなで想像するの図)

 

た、耐えられない。私には耐えられない!
は、はやく、お湯をかえてくれ~。

以来、よそへお呼ばれに行くときには、その家の台所をさりげなくチェックする癖がついてしまった。

そして、食器洗い機が据え置かれているキッチンだと心からホッとする。

そんなわけで、1,2は、シンクにお湯を張るためにシンクは小さく、そして、お湯と水を混ぜ混ぜしながらお湯を張るので、タップは別々でいいんです、というわけである。
しかし、これに納得したとて、不都合はやはり不都合のまま。
私とカンタは、シンクをでっかい物に替えるべく生活雑貨店へ足を運んだ。
そしてここでさらに、大きなため息をつくことになる。

 

店員さんがカタログを見せてくれるも、満足のいく大きさのシンクがな~い! 

システムキッチンごどごっそりと付け替え、というのならあるけれど、シングルシンク単品で、となると途端に選択肢が少なくなる。

「これでも小さいよ。だって、こんなじゃ、大きな鍋洗えないじゃない。中華鍋なんてどうやって洗うのさ。中華鍋使わないにしても、スパゲッティをゆでたりする鍋は使うでしょう、あれ、大きいでしょ? みなさん、いったいどうやって洗ってるのよ!」

店員さんとカンタが困り果てるほど、私の困り果てぶりは剣幕に近かった。


で、つまるところ、われらはどうしたか?

洗濯場の汚物洗い用のシンク、最小サイズがベストであることを発見して一件落着。

水道のタップは、お湯とお水がミックスできるレバー式に替えてもらった。

材料&取り付け工事費、750bドルなり。

旧式シンクから特注シンクでキッチンがグ~ンとゴージャスになった。

3・「まな板立ても包丁差しもな~い!」

こちらの人は、あまりまな板を利用しないのだろうか。
器用に手のひらで乱切りにして、直接鍋にポイポイ放り込んでいく。

ネギのみじん切りにおいては、はさみでチョキチョキ。
こちらの包丁セットは、包丁立てとセットになっているも種類や本数ばかり多くってちっとも切れない。彼らの切り方がああなんで包丁がこうなのか、包丁がこうなんで、切り方がああなのかは、いまだ謎。

とにかく、結婚祝いに父親からもらったマイ包丁「関の孫六」を16年間重宝している私としては、トントントンっとまな板の上ですっぱりキュウリを切って、しまう時にゃ、シンク下の扉裏に包丁をさくっと納めたいわけよ。


「だからダーリン、お願いね」


「はぃ、奥様、かしこまりました」
 

カンタは、いそいそとドリルを持ち出して工事に取りかかってくだすった。

1時間後、包丁差し、完成。

ご苦労じゃった。

 

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どんなに不便でもマイキッチンは楽しい★


4・「トイレに手を洗うところがないぞぉ」

古いおうちのトイレは、往々にしてトイレの中に手洗い場が、ない。

後付けするにもそのためのスペースが、ない。
日本ではおなじみの、水洗すると同時にタンクの上部ノズルから手洗い用のお水が出る便器も売って、ない。従って、これについては打開策ナシ。

「となりのドアを開けて、風呂場兼洗面所で手を洗ってね」の手作り看板をドアに掛けて妥協する。

5・「便座が冷た~い」

まだこの国のウォシュレットの普及率、チョー低い、です。
暖かい便座、ない。じゃぁ、せめて便座カバー……これもない。


そこで、トイレには人一倍こだわるカンタ、TOTOさんにメールを送る。
「ニュージーランド対応のウォシュレットありますか?」

数日後、TOTOさんからお返事が来た。

「………電圧が違いますよね。海外用は一種類だけです……電源? もちろんいりますよ!」


……しかたがない。

ピンクとブルーの便座カバーを実家の母に送ってもらおう。

6・「くっさ~。でも換気扇がない!」

昔の家ですから……。トイレにも、キッチンにも、換気扇が、ない……。

で、対応策。
「うんちをする人は、窓を全開にしてから座りましょう」
と言うルールを作る。

以上

7・「お~い、シャワーが水になってきたぞ~!」

前述した「水事情」の続編。
ためておける温水のMAXがシリンダーいっぱい分。
調子にのって、じゃんじゃんお湯を使ってしまうと、3人目あたりからお湯が尽きてしまうこと必至。シャワーの制限時間は、最長15分と決める。
これ、どこの家でも暗黙のルールです。これからニュージーランドへホームステイする予定の人、要注意。

8・「バスタブのお湯、冷めて来ちゃったよ、さぶ~っ」

こちらのバスタブは、追い炊きができない……泣。
しょうがないじゃん。がまんをし!

以上

9・「ドライヤー用のコンセントがないぃ」

ニュージーランドの電圧は240ボルト。
とっても高いので、昔の家の洗面所には危険防止策として水回りにコンセントがない。そもそも配線がない故、これもがまん。(注:現在建てられてる家にはあります)

10・「玄関のどこで靴を脱げばいいの?」

だって、靴脱ぐ習慣がない国だモンねぇ。
日本から下駄箱を持ってきたけど玄関周りにおく場所があるわけもなく、勝手口側の廊下におくことに。

玄関のドアあけたらいきなり絨毯敷きの廊下なんで、

学校帰りの子どもたちの靴は、自然な動きの流れでいうと「外」に脱いでおくことになる。で、夜の戸締りタイムにせっせと勝手口の下駄箱まで運ぶ。

日中、突然雨が降ってくると……悲惨である……。

 

11・「あっ、靴が片方なくなってる!」

これは、お隣の犬がくわえていっちゃうせい。(怒)
来客の時は特に要注意。

しかたがないので、玄関入ってすぐの絨毯の上に箱を置いてそこで脱いでいただく。

 

以上、ニュージーランド暮らし第一日目のショッキングリストでございました。


あぁ、蛇口をひねったらボッとガスが点火して、

即、お湯が出て、ざっぶ~んと湯船につかれる風呂に、入りてぇ~!

 

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暖炉用に発注した薪がでで~んと運ばれた!~この後、ヘイコラ薪小屋まで運ぶに1時間(´;ω;`)ウゥゥ

 

第1楽章-5 ニュージーランドで買ったマイホームのカギを渡された日を私は忘れない

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古いけれども夢と希望が詰まったニュージーランドの新居!



 (これまでのあらすじ)

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家を買った! いよいよカギをゲット!

このたびの海外引っ越しは、アメリカ駐在員の時とは違ってすべて実費。
だって、脱サラしたプーなんで。会社というビッグなバックがいないんで……。

となれば少しでも経費を安くしようというのが庶民のサガ。
引っ越し業者の手を借りず、すべて自分で荷造りし、梱包リストをつくって船業者のところからコンテナで出港させた。

日通(日本通運)に頼んでアメリカまで引っ越したときは確か100万円近かったと記憶する。
ところがどうよ。自分で手配したら、積み荷の数も容積も今回の方が断然多いのに50万円ですんじゃった。

やはり、節約すべきはビジネスも家計簿も「人件費」。勉強になりました。

 

さて。


名古屋港から送り出したのが7月24日。
その2日後、すぐさま私たちは飛行機に乗った。

なぜか……?
名古屋港からオークランド港まで6週間と聞いたから。

これ、どういうことかというと。
つまり、オークランド空港で荷物を降ろされる前に、私たちは住む場所を決め、家を買わなければならない。なので、

「こりゃ、ニュージーランドで居を構えるまでの時間を一日たりとも無駄にしてはならぬ!そう。節約すべきは人件費だけでなく時間もだ!」というわけで。

   ◇

家の購入の際、私たちは売主さんにひとつ条件を提示した。

「日本からのコンテナが9月6日にはオークランドに到着しちゃうんです。そこからネーピア港に回ってもらうんで、もしこの家を購入した際には9月10日ぐらいには入居したいんです。つまり、それまでに、出てってもらえます?

と、猫なで声でお願いした。

先方さんはその時点でまだその家を売ったのちに住む家を決めてはいなかったのだけれど、(たぶん売りたい一心で)すんなりそのリクエストにうなずいてくれた。


9月10日。午前9時。

弁護士の立ち会いのもと、家のカギと、金15万ドルと記入されたチェックが交換される。

おぉー。現金で一軒家を買った瞬間だ!


築30年の一軒家、土地約100坪を1000万円(注:現在の物価ですと2800万ほどでしょうか)で購入。

中流階級の日本人ならば、大概できるであろうこのお買い物だが、ニュージーランド人の中流の方々からすれば、これは、まま、すごいことらしい。

「いえ、他の日本人移民ならきっともっとでっかい豪邸買っちゃいますよ。私たちは、典型的な庶民なもので、えぇ、つまり、資産は何もないんでね、このあたりが分相応かと……」

……な~んて心では解説してましたが、わざわざ、そんな自分たちをさらけ出すこともなかろうよ、と、さりげなく、ちょっと自慢げに、その瞬間を迎えたのだった。

 

ちょっと申しわけないことに、元オーナーはまだ引っ越し先が見つかっていなかったらしい。退去後、私たちとは入れ替わりにモテル住まいとなったんだそうな。

「こんなに早く売れるとは思ってなかったんでね」と、一週間後にスーパーでばったりあったときにそう聞いた。さらりと言ってのけたさわやかな笑顔に、私たちは救われる思いだった。

 

引っ越し当日の朝

午前9時半。
早速空っぽになった家中を大掃除。
予約しておいたカーペットクリーナーやさんが10時に登場。
作業時間約1時間。
家中に扇風機をおいてカーペットが乾くのを待つ。

午後1時、家の前に40フィートのコンテナが届く。

でか!


お向かいのご近所さんが、何事か? と、道路にでてきて向う側からのぞいてらっしゃる。

「あ、こんにちは~!このたび日本から引っ越してきました一家です。どうぞよろしく~」
……今、私たちにできることは、笑顔でごあいさつ。これしかない。

 


コンテナの運転手さんが、
「ほな、1時間後にコンテナを引き上げにくるんで、よろしく!」
と言って、コーラ片手にどこかへ行ってしまった。

入れ替わりに、あらかじめ頼んでおいた国内引っ越しやさんの筋肉マン3人が登場。
ありがたいことに、友人夫妻がピザを抱えて手伝いに来てくれた。
荷は、あっという間に庭いっぱいに降ろされた。

 

ところが、計算外の困った事態が確認された!

あいにくの曇り空のせいで、まだカーペットが乾ききっていない……。

う~っ。仕方がない。
今日のところは、自分たちじゃ運べない大きな家具だけ入れてもらって、他のものはガレージに詰めておこう。

指揮に専念している私は、その旨を筋肉マンたちに伝えるべく大声を張り上げた。

 

「筋肉まんのみなさま! 今日のところは、大きな家具だけを家内に入れて、そのほかはガレージへお願い! その際、ぜ~ったい、土足であがらないでくださいね! カーペットのクリーニング300ドルも払ってるんだからーーー……」

 

 

が、次の瞬間……………………、

 

日本人一同、絶句……。

 

靴を脱いでくれたって靴下が真っ黒じゃぁ意味ねぇよー!

 

(なんで靴下がこんなに汚いんだよぉ!!)

 

固まった私の顔を見て友人夫妻が笑った。

「猫の手引くより皿を引けっていうでしょ? 彼らの靴を脱がせるより、カーペットのうえに何か布を敷き詰めた方が賢明だわ」

あわあわあわ、早くも、カルチャーショックだぃ。

 

  ◇

 

夕方5時。かろうじて日が明るいうちに荷物はすべてガレージにおさまった。
友人夫妻が持ってきてくれた引っ越しピザを食べて、早々に寝支度をする。

ニュージーランドの7月は思いっきり寒い。おまけにカーペットの湿気で家中が凍る。
みの虫のごとく寝袋にくるまった四つの塊は、ぶるぶると震えながらリビングに転がって眠った。

  

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ニュージーランドの元気な花たち

 

第1楽章-4 ニュージーランド移民一家、キャッシュでお家をお買い上げ!~だってローンが組まれへんからー!

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ハンバーガーやさんにも、どこにでも置いてある「家、売ります」のフリーペーパー in ニュージーランド

 (この前のお話)

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 家を買おうと思ったら、まずはさておき「オープンホーム」に行くべし!

 ニュージーランドにも日本同様、家を探す方法はたくさんある。

不動産専門のフリーペーパーや新聞、広告などの紙媒体から、WEBサイト、FB、メールマガジン、オンライン広告などなど。情報は、オンオフどちらのラインワールドでもゲットできる。

 今じゃ、スマホひとつで、ご近所はもちろん、島中、国中、世界中の不動産をグーグルマップでみながら商談して「これ買っちゃう!」なんてこともできる時代。

ホンマ、すごい時代になりました。

 

がしかし、当時なんのコネもない私たちが頼りにできたのは、前者、オフラインの方法のみ。

 フリーペーパーやチラシ、ネット広告で気になる物件をリストアップして、不動産屋さんにGo!

そして、一件一件売主さんに(直接顔合わせしないように)留守してもらって家の中を見せてもらうか、あらかじめ設定している「オープンホーム」に通う方法が主流。

 「冷やかしじゃないのよー。ほんとに買うつもりで探してんの」
ってアピールできるし、そうすると「リストに載っていないけどこっそり売ってます」っていう物件を見せてくれたいするので情報量は断然多くなる。

そう。
家を買うなら、まずは、外に出て、不動産屋さんに「買いたいんだ!」と叫び、足を運ぶ。

これが第一歩。

 

ニュージーランド人は、とにかくよく引っ越しをする

結婚した、別れた、子どもが増えた、巣立った、と家族構成が変わるたびに、ひょいっとヤドカリのように家を売り買いする。なので、不動産屋さんはフルに大忙し。「一世一代マイホーム一戸建ての夢」という色は、日本ほど強くないので、不動産屋さんは、段ボール箱だらけで明らかに引っ越したばかりの家とわかるそこのポストにも、じゃんじゃん「家を売る予定はありませんか?」のチラシをはさんでいく。

 

私たちは、連日不動産屋さんに通い、地域、予算、間取りに見合う物件のアポを取って見て回った。

もちろん、オープンホームにも駆けつける。これが楽しい!

 「お値段高すぎでとてもとても手がでませ~ん」って物件でも、

「見たい見たい、見るだけタダねぇ」のノリで、いそいそと訪ねていく。

 家の造りはもちろんのこと、家具、リビングの装飾棚、壁にかけられた家族写真、寝室のシーツやカーテン、シャワールームのシャンプーとリンス、キッチンのたわし。

窓際で寝そべっている猫たち、などなど、そこに鎮座しているグッズのにおいを楽しんで家主たちの暮らしを思う。

お年寄りの暮らしは、とっても質素でアンティック。
部屋の隅に手入れされた植木鉢が品よく鎮座していて、それが、挿し木や種の苗床だったりして、その老人の丁寧な暮らしがうかがわれる。

赤ちゃんがいる暮らしは、雑多だけれどもあたたかい。
子ども部屋の壁紙から察するに女の子だな?

不動産やさん曰く、お揃いのベッドカバーとカーテンは、おばあちゃんの手作りなんだとか。

あぁ、ここは、横着ぼうずの男の子が3人いるな?
サイズの違うスニーカーが玄関先でとっ散らかっているもん。

ガレージの屋根に取り付けられたバスケットボール用ゴール。
毎日ここで、放課後にお友達と遊んでいるんだろうな。

おや? ここの住人は、共働きの若夫婦に違いない。
デザイナーズブランドのキッチン。インテリア雑誌から飛び出てきたような内装。
まるでショールームのようにぴかぴかで生活感はあまり感じられない。
揚げ物とかしないんだろうな、こういうキッチンじゃ……。

 とまぁ、その家々の「におい」をかぎながら、もしも私たちがここに住むとしたら、と思いを馳せるわけである。

 中には、「ちょっと、オープンホームなんだからさぁ、少しは掃除しといたら~? 」とあきれるほどに、そのまんま……の家もあったりして、それはそれで、ニュージーランドの気取らない国民性がにじみ出てるわ、と感心する。

 

大概、オープンのホームとしてオープンされる時間は、30~45分。

担当の不動産屋さんが家の前に看板もしくは旗を立て、リビングかキッチンて待機している。

 家主はその間お出かけ。45分後を見計らって買い物にでも出かけているのだろう。

 

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「この家は売れました!」の看板 in ニュージーランド

移民一家、気に入りのおうち、見っけ!

さぁ、そして見つけたおいしい物件。2件の候補が挙がった。

私たちが提示した条件は、
「中流の安全エリア」
「予算は15万ドル(約1000万円)」
(注:物価上昇により今ではそんな値段では買えません。現在は約3倍ほどします)
「3ベッドルーム」
「築年数は問わないが、手入れがされていて絨毯がきれいなところ」

 1件目は、「12万ドル」「3ベッドルーム、ただし各一部屋分が狭い」「老婦人一人の一人暮らしなのでとてもきれい」「敷地内に畑がありステキな池と橋のミニガーデンがステキ」「しかし、ちょっと治安が危ぶまれるエリア」 
……だからお値段が安いわけだけど。

 2件目は、「築30年だが住人が大工さんであるらしく、とてもきれいに手入れされている」「3ベッドルーム。どの部屋も広い」「庭に畑エリアアリ」「15万6千ドル」
「治安良好エリア」……だからお値段が張るんですけど。

どちらも、室内を土足で歩いている割には、絨毯が新しいのでふっかふか。

合格だ。

引っ越し前にクリーニングやさんを頼めば、ジャパニーズスタイルで暮らすことができるだろう。

 

よし、決めた!

少々予算オーバーだけど、子どもの通学を考えたら「安全エリア」は最優先すべき条件だ。

 

「不動産屋さん、私たちこの家買います!」

 

不動産屋さんは、早速オーナーに連絡をした。

家を買う=商談にあたっては、やはり安い買い物ではないので、
「はい、そうですか、まいどあり!」
と言うわけには行かない。

 他にも、2,3カップルがオファー(買います!と手を挙げ、値段を提示する)したらしく、次なるは、諸条件を照らし合わせた「交渉」の段階に入っていく。

私たちが心配していたのは、まったく「信用」を誇示できるものがなかったことだ。
銀行口座そこそこのお金こそあれ、まだクレジットカードも持っていない。
運転免許も国際免許証のみ。

 

そんな風来坊が、はたして家一件を買えるか?!

 

不動産屋さんは、いつから入居したいですか? 保証人はいますか? と聞いた後、

 「支払いは、どんな方法で?」とカンタにふった。

 私たち、自慢じゃないが、クレジットカード……もってない……。

 もってないから、正々堂々と言う。

 

「もちろんチェックで!」とカンタ。

 

「……えっ? つまりキャッシュですか?」と不動産屋さん。

 

「はい!」とカンタ。

(チェックで払うってことは、まぁ、キャッシュって言うんですかねぇ)とつぶやくカンタ。
 (あたりまえじゃん。新参モンはローンすらできへんの^。頼みは口座にある「現金」だけなのー、と私)

 

「That's cool!」不動産屋さんはそう言ってニヤけた。
そして、「おそらく、オーナーはあなた方に売るでしょう」と言った。

 

  ◇

 

なぜ、不動産屋さんがそんなことを言ったか……?

はい。ここで種明かし。

 ↓

「この家買いたい!」って人が複数あらわれた場合、その中から一組だけが諸条件を鑑みて選ばれ、売主との交渉権が与えられる。

その際に、一番選ばれるポイントは金額だが、その次に注目されるのがオファー側の「ファイナンス事情」……つまり支払方法。

 

たとえば、

1・「今住んでる家が売れたら買います」

2・「銀行から借りてローンで買います」

3・「全額即金で買います」

この3者が似たような金額でオファーがしている場合、売主さんは間違いなく3番の人を選ぶ。

なぜなら、
1番の人は「売れるまで買われへんやん?」となるし、
2番の人は「銀行が貸してくれへんかったら買われへんやん?」となる。
その点
3番の人は「おぉ。一番お買い上げに障害はない!いい客だ!」となるわけ。

 

 案の定、交渉権は、私たちに与えられた。

 

そして、交渉の結果……。

いやはや、生粋の大阪人カンタ、がんばりましたとも。

 

なんと6000ドルもカットして、切りよく15万ドルで交渉成立!

築30年の家は私たちのものとなった。

 

これで、弁護士への謝礼と引っ越し代が浮いた。

新品のソファーも買えちゃうかも?!

ばんざーい! 

 

住みかができた!!!

 

(第1楽章-5につづく)

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記念すべきキャッシュでお買い上げのマイホーム in ニュージーランド



第1楽章-3★海外での医者探しは、弁護士探しの次に大事!のお話

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普通のおうちがドクターの診療所だったりするニュージーランドのお医者さん


 (これまでのあらすじ)

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モテルの暮らしにもすっかり慣れ、家探しに本腰入れようかと、オープンホームを訪ねるのが日課になりつつある2週間目突入の土曜日のこと。


「おはよう」

と髪の毛をボンバーにして起きてきた長女きなこを見て、ダーリンと私は、同時に

「どうしたの~!?」

と叫んだ。
本人は、きょとんとして目を見開いている。

「顔中真っ赤やで、どうしたん? 熱でもあるんか?」

ダーリンが、きなこの額に手を当てた。
熱はない。
きなこ、パジャマの襟元から自分の胸や腹をのぞき見る。

「きゃ~! 大変、体中ぶつぶつ~!」

顔がまん丸に見えるのは、異常なのか元々そういう顔だったか、母の私はやや動転して判断しかねて公言できず、娘の背中をチェックするために背後に回った。

「こりゃ、アトピーだな。環境がガラリと変わって慣れた頃だからね。
ちょうどそういう時期なんだ。
う~む。ニュージーランドのアレルゲンは、日本の薬でやっつけられるかしら?」


長女きなことアトピー性皮膚炎とのついあいはずいぶんと長い。
生後6ヵ月の頃からありとあらゆる民間療法に手を出したが、なかなか劇的な出会いには恵まれず、すでに本人の希望というか妥協で「共存」の道を選んで久しい。ステロイドのリバウンドに懲りてからというもの、漢方に凝る時期もあったが、即効薬でないぶん「効いてるのかしら」という疑問を抱きながらフェードアウトしてしまった。

これは、親の怠慢によるところが大きい。

小学一年生の時のアレルゲン検査で「敵はほこりと芝生」と発覚して以来、肘や膝、首あたりのかゆみは彼女の中では許容範囲と定められていて、両親はもとよりじじばばの「アトピーにいいんだってよ。使ってみて、やってみて」の数々の声にも「お気持ちだけでいただいときマス」のモードで聞こえないふりをしてきた。

がしかし、このたびのこの症状はこれまでにない衝撃的な事態。
「顔洗ってくる」と言って洗面所へ消えた後、再びきなこの

「きゃぁ~!」

やはり、あの顔は異常だったのね。母は、自分の視診が正しかったことに納得した。

 

さて、医者に行かねばならん。
医者はどこだ、どこに行けばいいんだ?

私たちは、またまた、レセプションのショーンのところへ駆けつけた。

「それならまず最初は、ザ・ドクターズに行くといい。
たしか朝の8時から夜の9時までオープンしてるはず。GP(ファミリードクター)を決めていない人たちや緊急の患者さんのための病院だからね。GPたちが持ち回りで当直してるからどのドクターにあたるかはわからんがな」


なるほど、日本で言う休日診療所みたいなものかな。
それにしても年中無休とはありがたい。GPは完全予約制。緊急事態の場合はそんな悠長なことしてられないもんね。 

「ちなみに、さらにその時間外になると、すぐお向かいに救急病院があるからね。真夜中に何かあったらそっちに行くんだな」


 はぃ、わかりました! ありがとう、と深々とお辞儀をし、ムーンフェイスのきなこを連れた一行は「ザ・ドクターズ」へ向かった。

 

  ◇

 

受付にて。

「あの~。日本から来たばかりで、住所も保険証もないんですけど……」

おそる受付で聞くも、受付嬢は「ザッツ・オーケ」と、にこにこ顔で問診票を差し出した。書くことができる欄は、名前と年齢、過去の病歴の記録のみ。
いいんですかね、これで……。
「ザッツ。オーケー」とその受付嬢は、ソファーを指さした。

(あ、そこに座って待ってろと……)


診察は、きわめて簡単。
「アレルギーですね。保湿クリームを出しましょう。風呂上がりにたっぷり塗ってください」
と、予想通りの展開、たったの2分で終了。


会計で払ったお金もたったの20ドル。(約1500円)

えっ、いいんですか、それだけで。

「ノープロブレム。ところで、あなた方は、GPを決めてますか?」

「いいえ、なんせまだこちらにきて二週間目ですから」

「じゃぁ、この中から、お好きなドクターを選んでください」

受付嬢は、30人ほどの顔写真がびっしりはまったB4サイズの用紙をカウンターに広げた。
「写真の下にそれぞれ、プロフィールと所在地が書いてありますから、よく読んでね。今日、あなた方が選んだドクターが、今後あなた方のGPになるの。お気に入りのドクターを決めたら教えてね。こちらから、そのドクターに今日のカルテを送りますから」


お気に入りのドクターを選べと言われてもなぁ……。

プロフィールはいいことしか書かれてないだろうし、場所だって近ければいいってモンじゃないし。

「医者も、やっぱ顔ですかね。私は、この人の笑顔が気に入ったな。いや、産婦人科系のことを考えると、女医さんの方がいいかな」

「女医さん? そ、それはちょっとなぁ……。アメリカで罹った前立腺炎が再発したら……#$%&’()%$#もぞもぞもぞ……」
(補注:彼は以前アメリカで前立腺炎を患い、きれいな女医さんにナニを公開している過去アリ)
(妻、スルー)

「あ、この人、漢方が専門だって!この人にしようか。きなこのアトビーに貢献してくれるかもしれないよ」

5分後、こうして私たちのGPが無事決まった。
3日後、カナのアトピー騒動は鎮静した。

薬が効いたというよりも、カラダが環境になじんだんだろうな、たぶん。

 

以来、3ヵ月、医者にかかるアクシデントはなく平和に過ごしていた。

が。

なんとそのドクターは、とってもとってもヤブで、おまけにゲイらしい、という情報があちこちから入手された。

「うっそ! ゲイはノープロブレムだけどヤブは困る!」


そしてさらにその3ヵ月後、とうとう身をもってヤブと認識する事件が起きた。

だって、肝炎の予防接種、間隔を置く日数を間違えて注射しようとしたんだよ!?

ヤブが針を刺す瞬間に、

「あ、ドクター、ちょっと待ってください!」

とストップをかけ、看護師さんがカルテを注視して気づいてくれて、ぎりぎりセーフ!

 

直ちに、友人が太鼓判を押すドクターに鞍替えをしたのはいうまでもない。

 

異国であろうとなかろうと、「自分の命は、自分で守る!」

 

これからも心して生きていこう!と誓った移民一家でありました。

不登校留学を成功させた中学・高校生の共通点が浮上!~意外と知られていない「留学成功法則」!

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なんてったって緑が自慢!青い空、肥えた土、きれいな地下水に恵まれたニュージーランドのワイナリー……美しすぎる!!


いきなりですが……はっきり言います!
ニュージーランドって「ド」がつく田舎なんです。(笑)


プリクラやカラオケ、日常のくらしにはありません。
ディズニーランドとか、ディズニーシー、長嶋スパーランドとか? そういうアミューズメントパーク、ないです。
携帯電話とかも、3年ぐらい流行が後れています。

なので留学ビギナーはみなさん、こうおっしゃいます。

「何もないじゃん!」

「ごはん、マズ!」

「ファッション、ダサ!」

「なんて退屈な国なんだぁ~!」

「携帯モデル、古!」

「ゲームソフト、しょぼ!」

……などなど。グチまくり、ディスまくり。
 
しかし、2か月もすると、彼らの暮らしぶりが大きく2つに分かれます。


1ー「ニュージーランドをバカにしまくりで楽しめず、早く日本に帰りたいチーム」
2ー「ニュージーランドが楽しすぎて、物欲よりも行動欲に駆り立てられるアクティブチーム」 
  ↑
この件につきましては前号で述べました。

 

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さぁ。今日はですね。
このふたつのグループの特徴と、なぜこのような違いがあらわににあるのか、について私の見解を述べたいと思います。

科学的な証明事例だとか有名な〇〇教授の論文によればとか、そういうエライ方の引用ではなく、あくまでも私の経験値からの分析ですので、読み手の皆様にとっては「Believe or not?」の域ではありますが、読後にはそこそこうなずいていただけるんじゃないかなぁ。だって事実に基ずくモニタリングですから。(あられ流ですけど……)

不登校留学を成功させた人とそうでない人の違い

不登校留学を成功に収めた人たちの共通項をあぶりだすため、まず私は、成功した生徒さんと残念ながらそうとは言えなかった生徒さんの違いについて検証してみました。
 
何が違うか?……これはですね。
意外に思われるかもしれませんが「生徒さんの趣味」から推察することができました。そして、その趣味がニュージーランドにて披露された時、推察が確信に変わります。

不登校留学生に聞きました!‐ 趣味をこのように区分してみたらば見えてきたある法則

お子さんのことだけじゃなく、お父さんお母さんも、ぜひご自分の趣味と照らし合わせてみつめてみてください。

 

ー たとえば「音楽の趣味」
聴くことが好きですか? 
それとも、演奏することが好きですか?

ー たとえば「スポーツの趣味」
スポーツ観戦が好きですか? 
それとも実際にスポーツをすることが好きですか?

ー たとえば「アート」
絵(マンガ)を観る(読む)のが好きですか?
それとも描くことが好きですか?

ー たとえば「コミュニケーション」
メールやラインでの会話の方が好きで言いたいことを伝えられますか?
それとも「直接話す」ことを好みますか?

ー  たとえば「ゲーム」
ゲームにもいろいろありますよね?
ピコピコとひとりで遊ぶテレビゲームが好き?
それともチェスや将棋などのボードゲームが好きかな?

 

さぁ。これらの区分から、そんな違いが見てとれるでしょう?

 

★聴く⇔演奏する

★スポーツ観戦をする⇔スポーツをする

★IT機器を通してコミュニケーションする⇔面と向かって会話する

★絵(マンガ)をみる⇔絵(マンガ)を書く

★本を読む⇔小説を書く

★テレビを観る⇔誰かと映画感に行く

 

お気づきでしょうか?

そうです!

おなじ遊ぶ(趣味)でも、媒体と方法が違うんです。

 

 

詳しく見てみましょう。

まず前者の「音楽を聴く、スポーツを観る、絵をみる、本を読む」についてですが。
実はこれ「何かを媒体」にして「遊んでもらって」いるんですよね。
文法でいうと「他動詞」(笑)

これらの遊びは受け身で遊びますので、さほど主体的になってエネルギーを要しなくても楽ぅ~に遊びワールドに導かれていきますね? 

しかも、この遊びは「個人プレー」です。まぁ、隣どうして音楽聞いたりテレビ見たりしますけど、それは個+個であってそこにつながりは要求されません。個人プレーが並んでるだけって感じ。

 

では後者はどうでしょう?
「楽器を弾く、スポーツをする、絵を描く、文章を書く」

これらは「自分から何らかのアクション」をしないと成り立たない遊びですね?
こちらは「自動詞」
自らアクションするわけですので、それなりに「意志力」を必要とする遊びといえましょう。

そして、こちらはチームプレー、もしくはシェアプレーです。
なぜなら、この遊びの前提は、聴いたり観たりしてくれる相手がいたり一緒に遊ぶ仲間を要する遊びだからです。

 

いかがでしょうか?
並べてみたらばはっきり見えてきませんか?

前者は「受け身」で遊びますので、受動あそびと呼びます。
一方、後者は「自らが行動」して遊びますよね?
これを、能動あそびと呼びます。

このように、


不登校留学を成功させる人とそうでない人では、
「趣味や好きな遊び」が違う
のでした。

 

ウソ、ホント?-不登校留学の成否と趣味って関係あるの?

ところで。
ここでみなさんに強くお断りしておかなければいけません。

と言いますのも、「受動遊び」と「能動あそび」……どちらがいいとか悪いとか、そういった是非論をここで述べるつもりはなくてですね、あくまでも「不登校留学にどんな影響があるのか?」を検証するために述べさせていただいております。

そこんところ、早合点して「あら、うちの子にも趣味を持たせなきゃ!」なんてお子さんをコントロールしようとなさらぬようお願いいたします。

 

しいて、お父さんお母さんにおすすめさせていただくならば、

ー まずはお子さんをよ~く観察してください。

ー 観察しながら、彼(彼女)の興味や好きなこと、得意なことなどを見つけて、引き出し、お子さん自身が「ぼく私はこれが好き!」「これが得意」と気づくことができるようにリードしましょう。

「ボク(私)はこれが好き。これが得意」とお子さんが自覚できるようリードするんです。この自覚を得ると「自分の強みを知る」につながっていきますから。

「自分の強みを知る」ことは「小さな成功」につながります。

そして「小さな成功」こそが「自己肯定感」につながっていきます。

 

   ◇

 

趣味のお話にもどりましょう。

「受動的遊び」と「能動的遊び」
自動詞⇔他動詞、個人プレー⇔チームプレーというコントラストのほかに、大きな違いがもう2つあります。

それは、「創作する力」「表現する力」です。

音楽を奏でる。

スポーツをする。

アートをする。

これらの能動的遊び(活動)は生産的な活動です。

何らかの作品をつくることはもちろんのこと、調和や共感などの感動、何かをやり遂げる達成感、チームプレーで勝負に挑むこと、苦楽を分かち合いてつながることも生産的な活動です。


で、これら生産的活動の原動力は「創作力」です。
つまり、「能動的遊び」は、「創作する力」によって生産されていく遊びといえましょう。

さらに「能動的遊び」は「表現活動」とも言われます。
なぜなら、何らからの手段で「表現したい!」という気持ちがないと実現しないからです。

からだで、言葉で、音で、絵で……何かを表現したい……そうした「表現力」。
これは「情熱」という言葉にも置き換えられます。

 

趣味を不登校留学に生かす方法は……〇〇遊びだ!

冒頭でも表現しましたが、
ニュージーランドには、「遊んでくれるもの」はあまりありません。
ですので、退屈な国、と言われれば、おっしゃる通り。

でもですね。
「メッチャ楽しい―!」って言ってる生徒さんにはそれは当てはまりません。

なぜか?

「能動遊び」に慣れている生徒さんにとってのニュージーランドは、活躍の場を提供してくれるステージとしてはもってこい!だから。

 

これ、どういうことかと言いますと。
学校内でも、学校外でも、ニュージーランドには、「能動的遊び」を通して参加できる「社会参加のチャンス」がいっぱいあるんですよね。

たとえば、音楽。

とても有効な社会参加のツールですね。
地域のアマチュアミュージシャンが集まっているブラスバンドなんかに参加すると大歓迎されます。

 

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クリスマスシーズン♬ 地域のアマチュアバンドがクリスマスキャロルを奏でて住宅街を練り歩きます。

 

その他、

ホッケー、空手、ラグビー、サッカー、コーラス、アート、バレエ、ダンス など。

うちのご近所には「柔術」の教室があって、つい半年ほど前にダーリン(大阪出身59歳)が入門したんですけど、そこになんと、黒帯の留学生(日本女子高生)が登場しなさってすんげぇ脚光を浴びとります! 充実ビギナーのダーリンは大感動!

「体型ちっちゃい女の子なのに、動きは颯爽としてしなやか。あこがれるわ~」
(ダーリンの弁)
 
 T君は、ブレークダンスが超得意。日本では学校はさぼるわ、悪さしてお巡りさんにお世話になるわ、いろいろとバブリーにハメはずしてた困ったちゃんでしたが、ニュージーランドに来たらば悪さするにも何もない……(笑)
で、現地校のタレントショー(文化祭のようなもの)に参加したのがきっかけで、あっという間にヒーローに!
ダンス友だちがいっぱいできて英語力がパンパなく上達するっていうおまけまでついて超ご機嫌!

彼は、いったん高校留学を終えて帰国し、翌年、さらなる冒険をしようとにアメリカに旅立ちました。
 
その他。
日本でヤサグレてたり、魚の目をしてヒッキーだった自称オタクK君が、「ニュージーランドで小さな成功をおさめて息を吹き返したヒーロー」に早変わり!ってなドラマは、数知れず、です。

不登校留学成功に導く超簡単で楽しい法則とは……まとめ 

要するに。


もし、留学を、より実りある体験ステージにしたいならば、


「生産的な遊び、創る遊び」

「つながる遊び、分かち合える遊び」

「共に喜ぶことができる遊び」

……などに興味を持つと、効果的★

 

そしてそれらを……心から楽しむ!


そしてそして……その気持ちとアクションを

「表現する!」=アクション!

 

ひとは、言葉を使って表現する生きモノです。
でも、私たちが暮しの中で使う表現ツールは言葉だけじゃありません。


生産的活動……創る、つながる、分かち合う、共に楽しむ遊び。

こうした遊びを知っていること。

これが、不登校留学を成功させた人の共通項です。

 

ナンバーワンじゃなくてもいいんです。

「これが好き」
「ごはん食べるのを忘れるほど夢中になれる」
「ずっと3年後も続けていたい」
「親に反対されてでもしたいこと」

そうした「だいすきなこと」があると、ニュージーランドって国は、めっちゃ自由で、自分を開放できるすばらしい国になります!

 

「ひま」が嫌いなチャレンジャーのみなさん!

 

ぜひご参考になさってください★

 

Q:「不登校や発達障害のある子どもでもニュージーランド留学はできますか?」

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ニュージーランドの高校の運動会「みんな一緒に楽しくスポーツデー♬」


ー 「発達障害のある子どもでも留学はできますか?」

というご質問。


ー 「2年間、不登校の子でも留学は可能ですか?」

というご質問。


ー 「あられさんとこでは、そんな子どもたちでもうけいれてるんですよね?」

といったお問い合わせ、
昔も今も、たくさんいただきます。

不登校留学に加えて、この頃は特に、小学校就学前に発達障害の診断を受けたばかりの4歳、5歳のお子さんをお持ちのお母さんからの親子留学のご希望、お問い合わせも増えています。

一方、学童期をぴょんと飛んで、20代、30代、40代で、「自称ー他称:ひきこもり」の方のご本人、ご家族からのご相談も、とっても増えています。

 

で、私がいつもお答えしている回答は、


⇒ A:「イエスでも、ノーでもありません」です。

 

なぜなら、留学は、お金さえ払えばできちゃうんですよね。
正確には、こちらニュージーランドには来れちゃいます。

飛行機に乗ってぶ~ん♪って(笑)

 

た・だ……。

 ちゃんと、

「NZに来てよかった!」「私(ぼくは)やったぞ!」
 って、みなさんお帰りになられるかどうかとなると、これ、話は別。

誰が、
誰のために、

どんな目的で、
どのような留学をしたいのか……。
(お子さんそっちのけで、親御さんが留学したい(させたい)という方、要注意です)

予算はおいくら?

( ↑ これを言い出せない方が多いのですが、大事なポイントです)

上記をきちんと言及でき、辛苦も覚悟!
家族で支援します!(今もしています!)と言えるご家族、そして、ご本人の行動する覚悟とワクワク感があってこそ「留学できます!」と私は表現したいんですね。

 ですので、そこんとこご家族さんも、ご本人さんも、よーく練ってねって練りまくってお問い合わせくださるとありがたいです。

 

とはいえ

目標を持つ?

何のために? 志を高く?

な~んて言われてもねぇ……。
頭でわかっていても、なかなかすぐに見つけられるものではありませんよね。

 「よ~く考えてから」って言われても、何をどう考えたらいいのか……わかんないですよね。

 なんとなくじゃ、ダメなのか~……って落ち込んですぐにしぼんでしまう方々も少なくありません。

 

そこで今日は、そんな方々にちょっと耳寄りなお話をおひとつ。

不登校留学を成功させる必要条件は、たった一つ!

 ぶっちゃけ!

「留学を成功させる」って具体的にはどういうこと?
……という論点に目を向けてみますと。 

ようするに「留学してよかった!」と思えることですよね。

 で、何がよかったの? 
  ↑
……ここが、これから留学に挑む方には気になるところなんですが、ざっくりあげてみますと、

 

ー「日本ではできないことをいっぱい体験した」

ー「英語で会話ができるようになった」

ー「たくさんの友達ができた」

 とまぁ、こんなところでしょうか?

ほとんどの生徒さんたちは、帰り際に書き残していく「体験感想文(エッセイ)」にこう書いていかれます。

 

つまりカッコよく言うと、留学エージェントさんがセールストークによく使われる、

「あなたの人生を変える留学!」とか?

「あたらしい自分に出会えます!」とか?

 そういった感動を抱くことができた場合、多くの人は「留学が成功した!」と表現されるようです。

 

だったらさぁ?

そういった感想を抱いて留学を終えることを目指すんだったらさぁ?


留学前に不登校だった、とか、発達障害がある、とか、そういうのをハードルにする必要はないんじゃね?……私は、そう感じてるんですよね。

現に、

世に言う優等生と言われていた秀才君が留学先でひきこもりになってしまった、というケースや、交換留学生として日の丸を背に海を渡ってきた希望の星が、現地ではっちゃけてドラッグにはまってしまった、というケースを目の当たりにしてきた私としましては、

留学前にどんな成績だったか? 内申書がどうだった?という情報が、留学生活に直接影響を及ぼす、とは到底思えないのです。

 

ですので、現在、不登校なんだなぁ、発達障害があるから……と、留学に足踏みしているみなさん、「留学はムリ」とあきらめる必要はありませんよ。

 

「留学の成否は、留学前の成績や学校出席率、障害の有無に左右されるものではない」

 

まずは、そういいう前提で、「未来への選択肢」を考えてください。

 

「ならば、留学成功の秘訣はなに? 教えてよ~」

となりますね?

 

はい。
私もずっとそれ……探っていました。(笑)

なので、留学を成功させた先輩たちの留学生活を思い起こして、かれらの帰国前エッセイを読み比べてみました。

そこで! 発見したんです。

彼らの留学生活の中に、共通項があるぞ!と。
正確には「彼らの心の視点」に、です。

それは……。

 ↓

みなさん、
「新しい環境にびびらず楽しんでいた!」

 ↑ コレです。 

 

みなさんも想像できますよね? 海外留学はびっくりの連続です。

日本であたりまえと思われることが異国ではびっくりされ、その逆もあり。
言葉は当然ちんぷんかんぷんで、食べものも恐ろしくまずい……。
(いや、失礼……おいしくない……(苦笑)ワンプレートが多いし((;^_^A)
(補:私を驚愕させたある生徒さんのランチに、キュウリしか挟まれていなかったサンドイッチってのがあります。泣)

 シャワーは使いすぎるとお水になっちゃうんで(注:お湯をシリンダーにためてあるのを使い切ったらお水になっちゃうんで)「10分以上は入らないでね」と言われるし、ウォシュレットなんてありません。当然トイレの便座は冷たいです。(泣)

書き上げたらきりがない(笑)とにかく日常生活でもびっくりが多いところに、学校生活はもっともっとびっくり満載です。
びっくりに重ねて、失敗も結構しでかします。

言葉がよくわからないばっかりにみんなについていけないし、とんちんかんなことしてヘマをします。

ホームステイ先では言葉全然わかんないし、何をどうしてたらいいのかわかんなくて恥ずかしすぎて心もカラダも縮こまっちゃって、部屋に閉じこもりたくもなります。

学校でも、人に話しかけられてもドキドキ、声をかけるにもドキドキ、お友だちがほしいのになかなか周囲になじめず、だからと言ってひとりでいるのも情けないやら怖いやらでいたたまれない。

留学当初は、そうした「難関」が、あちこちでぬりかべのごとく立ちはだかっていてしんどいです。

ホームステイ先との相性や学校、地域の雰囲気、留学生の出身国や人数によっても、いわゆる「あたりはずれ」っていうのも否めません。

 

えぇ。

結構、留学ビギニングは、わからんこと尽くしでドキドキずくしでしんどいですわ。

 

がしかし、ここで、事実をお知らせしましょう。

 

「成功者」は、それらびっくりのすべてをスルーっと見つめて、へぇ~って受容して楽しんでいました!

 

つまりどういうことかというと、

多くの留学ビギナーは、ことあるごとに、

「日本と全然違うじゃーん!」と叫びます。
その声色は、かなり衝撃的で批判的だったりします。
(実は、移民としてですが、わたしもその一人でした

 しかし、成功者たちは違います。

「へぇ~」……です。

へぇ~

そうなんだ……と言ってスルーです。

そのまんまを受け入れてお過ごしになる。

声色に悲壮感はありません。

 

さぁ。

日がな一日をそうして過ごしているうちに、この両者の「経験値」の違いは、3ヵ月もすれば歴然となります。

前者の生徒さんの一番悲しいパターンは、留学終盤まで「早く日本に帰りたーい」とホームシックを引きづりながら帰国日を待つ………もしくは、何もチャレンジせずに、静かに時を過ごして帰国を待ちます。新しい環境になじめず、楽しめず、背を向けて過ごしてしまったからです。

一方、後者の「留学成功者」たちは、オープンマインドで異国を学び、母国を学んで帰国します。

新しい環境を楽しむことで視野が広がり、自分が生まれ育った日本を見つめる力が芽生えたからです。

 

そんなこんなで。

つまり、わたくしが本日みなさまにお伝えしたいこと。

それは、

 

不登校の仲間たちよ?!

「発達障害あるんです」と自認してる仲間たちよ?!

ひきこもってるんで留学なんて無理無理、ってビビってる仲間たちよ!?

 

だからどうした? だから何なんだ? と自分に問いかけ、「課題はそこじゃない!」ということに気づいてほしいんですよ。

 

留学成功のカギは、

「あたらしい環境にビビらず、全部を楽しんじゃうぜ!」という覚悟です。

 

覚悟をしたら、あとは、アクションです!

 

そこんとこ、なんとかしてあなた方にお伝えしたいんだなぁ、わたし。

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ニュージーランドのマオリ族のあいさつ流儀「KiaOra(キオラ)」

 

★第1楽章-2★ ニュージーランドで遺言書を書く~大事な命綱をわすれてはならぬ!

 (これまでのあらすじ)

www.risutorawife-nz.com

弁護士を探せ!

朝、10時 

 はなれのランドリーコーナーで洗濯物を干し終わり、かごをぶら下げて歩いていると、

「今日の予定は?」

と、庭掃除をしているショーンが声をかけてきた。

 

「もちろん家さがしだよ。不動産やさんをあちこち回って、オープンホームも数件見てくるつもり。家を決めないと、子どもたちの学校も決められないもん」

 

「そりゃそうだな。で、弁護士はもう決めたのかい?」

 

「はい? べんご・し?」

 
「なんだ、まだ決めてないのかぃ?
家を買うなら、登記するには弁護士かソリシターの仲介が必要なんだよ。
それに、人間生きてるうち何が起こるかわからんだろ? 
特にあんたたちのような移民は、身寄りがない分、専属の弁護士と医者は必須だ。
必要ならば保証人にもなってくれるから。

備えておくに越したことはない。アテはあるのか?」

 

「…………。」

 

「だろうなぁ(笑)どれ、うちの弁護士を紹介してやろう」

 

かくして、移民一家の「To Do List」のトップには、

 「家探し」よりも先に「弁護士さがし」

 と、書き替えられた。

 

   ◇

 

娘2人を連れ、カンタと私は家の広告新聞を抱えたまま、ショーンがアポを取っておいてくれたという弁護士事務所へ向かった。
玄関を通ると正面に、ででんと構えたレセプションがあって、そこにまた、ででんと女性が構えておられる。(やはりデスクワークの女性は大きい……)

 

受付嬢:「誰とのアポですか?」

 

 (だれとって……弁護士さんです……)
「あのー。今朝、友人が電話でアポを取ってくれたんですけど……」

 

受付嬢:「………………ですので、誰と?」

 

「弁護士さんと……(ってゆうとるやん……by カンタ)

 

受付嬢:「………………。」

 

われら、こういう沈黙には笑顔しか手だてがない。

 

受付嬢:「ですから、どの、弁護士を、ご指名、ですか?」

 

とんちんかんな訪問者がまぎれこんで来ちゃったぞ、とでも言いたげに、彼女はもう一度、スローテンポで言い含めるように言った。

 

見れば、女性の後ろの壁に、3人の男性のポートレイトがかかっている。

 

(な~るほど、わかったぞ! 弁護士たちが共同でオフィスを構えているんだな) 
「あぁ。え~っと、ミスター・ジェームス・マッキーをおねがいします」

 

ようやく女性は安堵の表情となり、インタホーンのボタンを押す。

ピポパ。♬

 

すると、長身の青年が、2階から続くらせん階段から下りてきた。

 

 

おぉ。めっちゃかっこいい!

 

手元を見る。

→ 指輪、してない 

→ めっちゃイケメン

→ 弁護士

……モテるだろうなぁ、

(と瞬時に働くこの思考は、女性であれば誰もがしちゃうワルイクセ……)

 

私たちは、彼のオフィスに通された。

 

   ◇

 

ドクターの問診のような会話を5分ほどした後、イケメン弁護士が言った。

 

「なるほど。娘さん2人の家族4人。先週、ニュージーランドに入国したばかりなんですね。そして、ただ今、家を探しておられる、と……。
(イケメン、パソコンに入力しているの図)

ところで、遺書はどうします? 
スタンダードのものならすぐに作れますけど……?」

 

「はっ? い・しょ……遺書ですか?」

 

「遺書です……まだ書いてないでしょ?」

 

「まだ、です……」

 

「お子さんふたり。まだ16才未満ですよね?
………ということはですよ。
もし、この時期にご両親の身に何か不幸があった場合、遺書を書いておかないと、親権が政府にわたってしまいます」

 

「はぁ……というと……?」

  

「娘さんを引き取る大人がいないとみなされ、政府が面倒見ます」

 

「えっ? それって、つまり……孤児?……施設に預けられるってことですか?」

 

「Yes, そういうことです。財産授与もできません。

ですからね。
そうならないために、財産分与と養育権を明記しておくことをおすすめします。
あっ、あなた方の場合は、日本への連絡先を管理できる保証人も必要だな。
日本にご家族や親戚いますよね? 

その人たちに連絡してくれる人、つまり「保証人」がいないと困っちゃうわけですよ。

 保証人を2人立てて遺言書に明記しておきましょう。
1人は私でいいですから、もう一人、保証人を捜してください。
日本語が分かる人がいいですね」

 

なるほど、異国で暮らすと言うことはこういうことか。
子どもを守る、とは、私たち親亡きの備えも含まれるのだ。
そういうことなのね。

 

「もしもの時……」の可能性を不意に突きつけられて、私とカンタはしばし緊張で固まった。金の面では大した財産はないので遺産争いの心配はないが、それでも丸ごと政府に持って行かれるのはいかがなものか。

確かに……たしかに今、私たちは、危険と背中合わせ、ヤバい状況にある。
もし、今、交通事故で私とカンタが死んじゃって娘たちだけが助かったら……、その瞬間から娘たちは路頭に迷うことになる。

誰かがなんとかして日本の両親へ連絡したとしても、すぐに飛んできてくれるわけではない。娘たちに必要なのは、その瞬間から寄り添ってケアしてくれる人なのだ。

まだ、友人と呼べる人も周囲にいない今、親亡きあとに頼れるのは、金と保証人か……。

これを、備えておかないと、私たちは今、死ぬに死ねない状況にいるってことだな。

 

「じゃ、スタンダードの遺書ってヤツを見せてください」

 

イケメン弁護士は、「Sure !」 と言って、引き出しからフォームを取り出した。

 

   ◇ 

 

もう一人の保証人は、われらの唯一の友人夫妻にお願いした。

日本のように手みやげをもってお願いにあがることなく、弁護士事務所からの電話一本でリクエストしたにもかかわらず「いいわよ!」と、承諾してくだすった。

ありがたい。

かくして保証人欄には、イケメン弁護士と夫妻の名前が綴られる。

加えて、カンタと私それぞれの家族構成、住所、連絡方法を特記して、私たちのスタンダード+特記つき遺書の原案が完成した。

 

おぉ……! 人生初の遺言書!

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人生初の遺言書~これでいつ死んでも安心……

してみると、なんだかニュージーランド暮らしがすべて保障されたような安堵感が胸にこみ上げてくるではないか!?

 

これで何があっても安心して死ねる……。

親の責任とは、行き着くところ、そう言ってのけられる備えなのかもしれない。

 

1週間後、遺書が完成したよ、との電話が入り、再び娘たちを連れてオフィスに向かうった。

私の遺書、カンタの遺書が、われらとイケメン弁護士に一部ずつ手渡された。

 

遺書の諸費用130ドルなり。日本円にして約1万円。

 

高いでしょうか? 安いでしょうか? とんと見当がつきません。

 

(第1楽章-3へつづく)

★第1楽章-1★ まずは暮しを整えなくては……。~どこに住むか、それが問題だ。

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ここに決めた!ここに住もう!-ネイピアの街

 これまでのあらすじ

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  寝床をさがす

 ニュージーランドで一家4人が宿泊するとなると、B&B、ホリデーパーク、モテルなどがお手頃。

B&Bとは、

ベッド&ブレックファストの略で、つまり宿泊と朝食がつきますよ、でも夕食は外で食べてね、ってヤツ。多くは、一軒家の空き部屋にお泊まりさせてもらうという感触のところが多く、ニュージーランドならではの家庭の雰囲気が堪能できる。

ホリデーパークとは、

テントサイト、モーターキャンプサイト、バンガローサイト、そしてキッチン、バス、トイレ付きのファミリーサイトが同じ敷地に広がる大きな公園みたいなところ。子どもが遊ぶプレイグランド、ビリヤードや卓球場、プールなどもあり、お安く長期に宿泊したい人におすすめ。ただし、街からちょっぴり離れたところにあるので、車がないと移動がつらい。

そして

モテルといえば……。

私の両親をはじめてニュージーランドに招待し、一緒に北島を旅行したときのこと。

「私たちは、ホリデーパークのキャンプサイトに泊まるけど、お父ちゃんたちにはモテルを予約しておいたからね」

と言ったらば、お父ちゃんが、んぐっとフリーズ赤面したのを思い出す。

お父ちゃん、どした?

っと思ったところに、お母ちゃんが、

「いややわぁ、あんた、そんな恥ずかしいことー(;^_^A」

と私の背中をぺちんと叩いて気がついた。

『ちゃ、ちゃうちゃう! ちがうーっ!』

 あの「モーテル」じゃないよ、お母ちゃん。モ・テ・ル。

モテルってのは、キッチン、シャワー、トイレはもちろん、テレビ、ソファー、ダイニングテーブルがリビングっぽく据え置かれてて、人数分のベッドが用意されてて、いわば車で横付けできる平屋のアパートに似たつくりのところでね。

ダブルを予約すると、夫婦用のダブルベッドの部屋と、シングルベッドがふたつ並ぶ子ども用寝室が別にあったりしてとっても便利。

そしてお値段は、一泊、一部屋90ドルから150ドルほど。
(注:人数ではなく部屋単位のお値段です)

キッチンには冷蔵庫、電子レンジ、鍋やポット、まな板洗剤、食器まで一通りの用具があるので、近所のスーパーマーケットで買い物をしてくれば、自分の家でのごとく夕食を作ることができる。

で、こたびの私たちの住みかとしてはどうかしら?

子連れで長期滞在となると何かと気苦労も多いこと必至。
大声で叱りとばしたいときもあろう。
一応、全財産を持ち歩いての旅&宿泊となるので、安全かつプライバシーを守る点でもやはりここはモテルが賢い選択といえましょう。

 

そうと決まれば。さっそく私たちは、過去2回の滞在時にお世話になった「アルバトロスモテル」をあたった。
季節は冬。シーズンオフのおかげか、幸い外には「VACANCY」の電光サインと

「ダブルで一泊55ドル」

の立て看板。
いいじゃないかー!相変わらド安いじゃないかー! 4年前と変わらぬお値段。感謝!

 

ニュージーランドのモテルは、旅人を温めてくれる……

 モテルのゲートをくぐって駐車場に着いた時、前回、このモテルをチェックアウトした時のことを思い出した。

別れ際に、

 「今度は家族で来ます!永住権を取って!必ずまた来ます!」

 と宣言した自分を思いだす。

なんのあてもないのに、なぜか心に念じて決めていたあの頃。
保母の世界に英語なんて必要ないわ、と英語の勉強なんて高校時代以来見切っていた私が、「日常会話の基本フレーズ」なる本を買い集めるようになったのもあの頃からだ。

 

(本当に来ちゃった……)

 

カンタに続き、娘たちの手を引いてレセプションのドアをくぐる。

ドキドキ……だって、4年ぶりの再会だよ?

 

(同じオーナーかなぁ)

(わたしのこと、覚えてくれてるかなぁ……)

   ◇

 「オー・マイ・ガー! ホントに来ちゃったのね~?」

私の姿を見るやいなや、オーナーのショーン&グェン夫妻は驚嘆の声で歓迎してくれた。

 

「エヘヘ」

 

涙が込み上げてきた。
4年前の自分ーー取材のため、ここをひとりで旅していた。
昨年の自分ーーアメリカで死にそうなダーリンと必死に生き、ニュージーランドに逃げよう!って決めた。

そして今ーーダーリンとここにいる。娘二人を連れて戻ってきた。

涙を拭きふき、私は、移住の実現話を端折って報告し、娘たちは、ショーンとグレンからハグとキスのシャワーを浴びた。

    ◇

「今回はね、5週間ほどのロングステイだから、おまけしてくださいね」

ゲンキンな私がいきなり値段交渉を始めたんで、律儀なカンタが補足説明に入る。

 

ー 名古屋港からコンテナで出した荷物が、9月6日にオークランド空港に届くこと。

ー だから、それまでに家を探して定住先を決めなくちゃいけないこと。

ー よって、それまでの仮住まいをさせて欲しいんです。

 

との旨を、超短くてシンプルな英語センテンスでもって、汗をかきかき説明する。

 ショーンが、ニヤッと笑って右手の指を3本立てた。

「一週間で300ドルでどうだい? その代わり、シーツの洗濯は自分でするんだよ」

 

「Wow! 激安ッス! ザッツ・グレイト! ありがたい。サンキュー!」

 

私の英語力はともかく、言わんとしているこの感激は伝わったらしい。

私とショーンは、もう一度ガッシ!っとハグをした。

 

(第1楽章-2 につづく)

★序曲-2★「あなたを雇う会社、この国にはないですよ……」~ニュージーランド移民に厳しい就活事情

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プーのわたしたちには寒さが身にしみる……

 (これまでのあらすじ)

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オークランドでのドライブは、かしこい選択か否か?!

 

あいにく翌日も雨。
なるほど、飛行機チケットが安かったはずだ。7月のニュージーランドは寒い。雨が多い。まっ、観光に来たんじゃないから良しとしよう。今は仕事仕事、仕事探しの情報に専心するのだ。カンタもわたしも緊張な面もちで朝を迎えた。 

「ねぇ、カンタ。モテルに荷物を置いて出かけられるから、市内観光をかねて今日はバスで行こっか?」
「なんで? せっかくレンタカーがあるのに、なにもバス代つかうことないやろ。車で行こうよ」

く~っ。細かっ! ケチやなぁ。
 こんな時なんだよね。「主婦代わりましょうか?」って言いたくなるのわさ。
(いわないけど……)

 実はわたし。
いつか、カンタの給料よりも稼げるようになった暁には「主婦代わりましょ!」って主婦タイトルベルトをさっと彼の前に差し出してニマっと笑う……ってな図を思いうかべて、日々、わが身のモチベーションを上げている。

そんなことは夢のまた夢だけどさ。こうやってチクッと家計のこととかに細かいこと言われるとイラっとするんだよね。

 なんですかね、この感情……主婦のプライドですかね? 自分でいうのもなんですけれど、お金の使い方についてはそれなりに地味にお利口に考えてやりくりしいると自負してるんですよ。なのに、こういうちっちゃいことで「お得」とか「節約」とかいわれると、な~んか、おもしろくないわ。

 (別にさ、宝石とがブランドもんとか? そういうの一切欲しがらない「お金のかからん節約ワイフ」だと思うんですよ、私 

 

とはいえ、その後の事態により、このたびの是非のジャッジは、わたしの案に軍配が上がったとことを記しておかねば。

   ◇

 バス代節約のため、われら一行、レンタカーで街に出たものの、市内の駐車場はどこもいっぱいで見つからない。

とどのつまりは、とーっても遠いところに車を置いて、てくてく歩く。
冬の雨の中、しょぼしょぼと傘を傾けながら歩く。
当然、娘たちは、どこまで歩くの~? とぶーたれる。

そして、泣けてくるのは駐車料金。
明らかにバス代よりも高いではないか……。

「ほれ見ぃ! 」

とまぁ、こんなカンジ。

 

ニュージーランド移民の就活、おそろしく苦戦の兆し……

 わたしとカンタが「職」を求めて一番はじめに車を走らせたのは『Work and Income』(ワークアンドインカム)という日本でいう「職業安定所」みたいなところ。

あらかじめ印刷しておいたCV(履歴書)を数部手渡して終わり、っと思っていたらば受付のおばちゃんが、
「ちょっとまってて。担当者を呼ぶから」
と言ったきりドロンと消えて、帰るに帰れなくなってしまった。

 数分後、担当者と思しきぽっちゃりレディーが現れた。
(NZのデスクワーカーには、実にぽっちゃりさんが多い……マジ、運動不足と思われる)

 

わたしたちは、数ある中のひとつのブースに促された。
席に着くや否や、ぽっちゃりレディーはパソコンを立ち上げ、
「年齢、国籍、学歴、職歴、趣味、特技、などなど、PRできることは何でも言ってね」と、カルテ(と思われる)フォームを開いた。

これまで自分がしてきた仕事やプロジェクト、自分の得意とする分野やスキルを前のめりになって語るカンタ。

私は彼の隣で、
「んだんだ。この人は死にそうになるまでがんばっちゃう働き者ですよ」
と心でつぶやきながらぽっちゃりレディーを見つめていた。

 

ふむふむ。ぱそぱそ……。

 

ぽっちゃりレディーは、カンタの回答をフォームに埋め込んでいく。

 

ぱそぱそぱそ。

「なるほど。すばらしいわ!
あなたの履歴書は、学歴も職歴もすばらしい! ようこそニュージーランドへ!」

 

『わぉ!』(カンタとわたし、心躍らせるの図)』

 

「ただねぇ……」と、ぽっちゃりレディー。

 

「はい?……ただ?」と、カンタとわたし。

 

「う~む。アナタのような職歴を生かす就職口を見つけるのは、たいへんだわ……」

 

「はい? ど、どうしてですか?」

 

「だってねぁ。アナタのようなハイスキルの技術者を雇える会社、ニュージーランドにあるとは思えないのよね……ここ、農業国だからねぇ……」

 

 『がっぴょ~ん!』(古っ(;^_^A)

 「就職口が狭き門……
……どころか、そもそも会社が……ない!?」

 

われら、放心状態で『Work and Income』をあとにする……。
その後、民間の職業斡旋所を3件まわったけれども、4件目を前にして力尽きた。

どこも、感触は同じ。

「あわれな移民たちよ。ムダなことしてるよキミたち」

というまなざしに、わたしたちは負けた……。

 

オークランド博物館のロビーで娘たちを解放し、わたしとカンタは臨時ミーティングを執り行うことにした。

さぁ、どうする? このまま仕事が見つからなかったら……? 
働かずして2年も暮らせるか?

 

カンタの顔色は暗い。
  

で。

ふたりが出した決議案は、

 

『3日間の滞在を予定していたオークランドだが、もはやここにいるメリットは何もないと思われる。

 一日繰り上げて明日にでも南方に下るべし!』 

 

 即決!

 

で。

実は、もうひとつ理由がある。

 

移民が大都市オークランドを見切ったのには、もうひとつわけがある……それは『不動産』

 

つまり家が高すぎた。

街のあちこちにある不動産屋のウインドーに張られた物件写真。
見れば見るほど、私たちの思い描いていたサバイバルプランが崩れていく。

どの家も予想の2-3倍。
これがねぇ。たいした家じゃないんだよ。
築40年の3ベッドルームが1500万。
(注:20年前のお話ですので、今でいうと3000万円ぐらいです)

 

バ、バカな!
オープンホームを見に行くまでもなく、購買欲は減退。
だからといって、借家はどうかという案にもシフトはできない。
だって、家賃はもっとクレイジーなんだもん。

ニュージーランドの家はどんどん値が上がってるので、いわゆる投資家たちの絶好の「ころがしモノ」。お金持ちは、どんどんお金持ちに。貧乏人はいつまでも貧乏人……この定義は、国を渡れど変わりがない模様。

 

しかも!

移民で、おまけにプーであるわたしたちは、何の信用もないため、家を買うにもローンを組むことができない!

つまり、家はキャッシュで買わねばならぬ。
覚悟はしていたものの。コレは痛い(>_<)

 

わたしの筋書き→「家を買って、残りのお金で当面の生活費を確保する」が、ここオークランドの物価では、希望的観測値ゼロ。

 

ううむ。

どうするダーリン?!

どうしよう……。

 

よし!

 

ならば、

とっとと、オークランドから出るしかあるまい!

と相成り、決議案は全員一致(2人だけど)で採択された。

 

   ◇

 

「じゃぁ、次はネーピアね!」

モテルまでの帰路、わたしは早速次なる企画案をカンタに提出した。
これには、カンタもすんなりうなずく。

というのも、私たちが以前訪ねたことがあるというのが、北島南東にあるネーピアという街だった。ここには一足先に移住を果たした友人が住んでいる。

約3年前。1週間の家族旅行をした際に3日ほど、そして翌年、「学校探検ビデオ」の制作のために取材に来た際には5週間ほどホームステイさせてもらっていて、つまりは、ここネーピアに関してだけはそこそこ土地勘がある。

さほど大きいわけでも小さいわけでもない人口6万人の街。
かろうじてガイドブックに載ってマス、といったミディアムサイズの街であるここは、気候がよいところとして地元ニュージーランダーからも大人気。
日本で言えば静岡県、といった風情もなかなか好き。

「行こう! 行こう! ネーピアに行こう!」

ってんで、ニュージーランド最大都市オークランドで2泊したわれら一行は、この土地にはまったくもって未練ゼロでサヨナラし、長距離バスのチケットを購入した。

 

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オークランドよ、さらば! 次はネーピアだ!

オークランドを朝9時に出発。ハミルトン、ロトルア、タウポを経由してネーピアについたのは夕方4時。
道中、ひとつひとつの街をながめることができて、あんこときなこは、

「羊だぁ! 牛だぁ! ダチョウだぁ!」と、ご満悦。

 

ようやくここに来て、

「あ~、ニュージーランドに来たんだなぁ」と、しみじみ思う。

不思議なほどに不安はない。
人生80年として、今はまだターニングポイントにさしかかったところ。
マイライフ後半を何色に彩ろうかと心が躍る。

視界の上部半分いっぱいに広がる空を見上げ、大きくのびをした。

 

さぁ、宿を探そう。

 

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典型的なバックパッカー  1泊30ドル~

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鍋やらフライパンがずらり!~ここで節約クッキング

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午後2時のダイニング~みなさん外出中

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夜になると若者でごった返すコモンルーム




(序曲-3 につづく)