第2楽章-1 移住したら、なんといっても子どものことが最優先!~子どもたちの初登校
(これまでのあらすじ)
日本人が学校にやってきた!
晴れて住所が決まった。
これで堂々と日本の友人知人たちに、
『私たち、引っ越しました。近くへお越しの際には是非お立ち寄りください』
の葉書を出すことができる。
でも待てよ。
「近くへお越しの際には……」って言ったってねぇ……。
「是非お立ち寄りください……」って言ったってねぇ……。
飛行機直行便で11時間もかかるってのに、
「ちょっとそこまで来たもんだから……」
なんてお客さんはいないよねー、と思い直し、
そんなうさんくさい社交辞令は抜きにして、本当にウェルカムしたい人だけに、
「遊びに来てね」……と葉書を出す。
そして、やれやれ。
これでようやく娘たちが通う学校を決められる。
アメリカの学校を6月18日付けで卒業して以来、延べ3ヵ月近くも不登校状態でいる娘たち。はじめの一週間こそ鼻歌を歌っていたものの、すっかり「人恋しい少女」になり果てていた。
子どもには「群れたい本能」というものがある。
ところが、親の都合でその大切な本能にふたをせねばならぬ日々……どの学校にも、どの学年にも属さない無所属の身の上に不安を覚えてしまうのは当然と言えば当然。
よく今日までやりすごしてきてくださいました。
ニュージーランドに来てからというもの、毎日、会う人と言えば不動産やさんや弁護士さん、いつも通うスーパのレジのおばちゃんぐらいだったもんね。
あちこちのオープンホームに連れられては、車内で待機させられていた日々は、まるで軟禁状態。
彼女たちには誤算だったことだろう。
「マミー? ほっとすたっふ(私が以前主催していた不登校児のためのフリースペース)をしてた時さ、
“コドモにはガクシュウをうけるケンリがある!
オトナは、こどもにガクシュウホショウをしなくてはなりませ~ん”
って言ってなかった?
ガクシュウホショウってなに?
わたしにももらえる?」
き、聴いていたのね?
ガクシュウホショウって言葉、よう覚えていたのう!?
給食だけが楽しみで学校へ言っていたと思いきや、やるじゃないか!?
よかろう、キミたちの要求をのもう。
ただし、ニュージーランドには給食ないぞ。
ということで、私たち一家は最寄りの学校へ向かった。
娘たち、「ニュージーランドの学校 初登校」に心躍る!?
ニュージーランドの学校は、1月末日から始まる。
小学校は5歳の誕生日から6年間、
(Year 1-6)
中学校は11才から2年間、
(Year 7-8)
高校は13 才から5年間。
(Year 9-13)
うち、義務教育は15 才 (Year11)まで。
一年は4学期制。
時、3学期の半ば。
当時11歳だったあんこは中学校に、9歳だったきなこは小学校へ通うことになる。。
まずは、アメリカでもそうだったように、入学手続きはスクールゾーン(校区)の学校を訪ねていくのが筋だろう。アメリカでのあの時は、ビザを証明するパスポートと予防接種証明書を持参して入学が許可されたと記憶する。
「残念ながら、ニュージーランドにはESL(English as a second language)クラスはないんだって。でも、もう英語は大丈夫だよね、何とかやっていけるよね?
ただし、ここはイギリス英語なの。アメリカ英語と、ちょっと発音が違うのよ。そこんところ心して取り組むように。わかった?」。
「OK! もう私、学校へ行けるならどんながまんでもする!」と、あんこ。
「マミィ、でも、ランチにおにぎりはやめてね、はずかしから……」と、きなこ。
アメリカでの登校初日、おにぎりを持たせたら、周囲から、
「う~、ヤック(気持ち悪~い)」
と言われたことが、どうやら彼女にはトラウマになっているらしい。
「わかったよー。きなこは、キュウリとハムのサンドイッチが好きなんだよね」
「うん! ヨーグルトやチョコレートバーも忘れないでね」
「OK」
「それから……」
「OK」
「それから……」
「OK」
の会話を2,3回繰り返して、少々緊張気味のきなこも登校スタンバイOKと相成った。
「さぁ、学校へ行こう!」
彼女たちの好きなテレビ番組のタイトルを声高に叫んで、一同、活を入れる。
ラッキーなことに、小中それぞれの学校まで、徒歩でたったの5分。
私たちは、アポも取らずにてくてくと学校に向かった。
だって、下見するだけー、のつもりだったから……。
だってだって、ただのごあいさつのつもりだったから……。
なのに、なのに。
アメリカでもそうだったように……。
子どもたちは、そのまま学校へ残ることになった……。
アメリカでの初登校日もすごかったが、ニュージーランドでのそれもすごかった。
教師が娘たちを生徒たちに紹介するやいなや、あっ、っという間に、あんこもきなこも子どもたちの渦に巻き込まれ、見えなくなっていったのである。
「ハロー、きなこ。何して遊びたい? こっちにいろんなボールがあるよ」
「ハロー、あんこ、学校の探検ツアーしようか?」
「ハロー、ミセス・スギウラ。日本ってどこ? どれくらい遠いの?」
「私のいとこが今、日本で英語を教えているよ。日本には、世界中の食べ物があるってホント?」
「ミスター・スギウラ、カラテできる? ボク、今習ってるんだぁ」
「ミスター・スギウラ、カタナもってる?サムライできる?」
「日本のお店は、24時間オープンしてるってホント?」
「お父さんの車はトヨタで、お母さんの車はホンダだよ。
日本の車はとっても強いってお父さんが言ってた。それホント?」
「日本人は、毎日着物を着て学校へ行くの?」
「お~い、みんなぁ! ボクらのクラスにジャパニーズがやってきたんだぜ! すごいだろ!」
あっといいうまに、娘たちの姿は子どもたちの円陣に吸い込まれ、
レタス、ハム、卵のサンドイッチの入ったバックパックを背負った背中が小さくなっていった。
ニコニコ顔で彼らを見つめている校長先生に、カンタが言う。
「あのー。これが日本から用意してきた書類です。足りないものがあれば至急用意します。いつから学校に通えるでしょうか?」
校長先生は、ニコニコ顔をそのままにして私たちに振り返り、手渡された書類にざっと目を通す。
「そうですねー。
あら。予防接種の証明書があるし、必要な書類はほぼそろっているじゃな~い!
もう今日からでもウェルカムですよ。その他の必要な書類はお迎えに来てもらうその時にお渡ししましょう。あしたは8時半までにオフィスに来てもらおうかな。
んじゃ、今日は3時にお迎えに来てください。
わからないところはいつでも電話で聞いてくださいね。
おつかれさま~!」
9月10日。
娘たちの登校記念日はこうしてあっけなくクリアされた。
引っ越しから4日後のことでした。
すばらしい即行劇でございました。