警告その4! 「個性」のトリセツ要注意:個性は人生を破壊する?!……あなたのためを思って、ってそれホント?
警告シリーズ 最終回 です。
前号はこちら ↓
lifestylestudio-nz.hatenablog.com
警告シリーズ 最終回
前号までに、ふたつの事例をご紹介しました。
このふたつのお話。実は、私にとってはとても悔しい事例です。
なぜなら、この事態には、とても残念な共通項があるからです。
その共通項とは、
「この悲しい事態は、本来、もっと早くに食い止められたのに……」
という仮説です。
こうたろう君の場合。その後の医師の診断結果は、やはり広汎性発達障害。中でも言語能力や知的水準が高いアスペルガー症候群であろう、とのことでした。
だとすれば……、
しかる時期に、しかるべき支援なり工夫を暮らしの中で行われていれば、こんな事態は避けられたのではないか……?
たとえばこうたろう君の場合、
5歳ごろから、そうした診断のもと、「彼の暮しの中に潜む不都合を少しでも軽減する手立てを保障する人的支援」と「本人が暮らしやすい環境を保障する社会的支援」にあれば、こんなに生きづらい時間を大学入学までという長きにわたって強いられることはなかったのではないか。
こうたろう君とご両親だけの間で、
家庭という密室で、
このような修羅場をくぐる必要はなかったのではないか。
そう思わずにはいられないのです。
のちに、ご両親とお話した際、ご両親はこうおっしゃいました。
「今思えば、幼稚園の時期にはすでに、この子はちょっと他の子と違うな……と思う節はありました。とくに、遊び方や生活の中でのこだわりが強く、引っ越しをしたときなどは、多くの変化に慣れるまで大変でした。
でも勉強はよくできる子だったんです。“こだわり” 以外は手のかからない、親孝行ないい子でした。成績も中より上ぐらいでした。
ですので……。
この子の行動は、すべて、『個性』だと思っていました。そう思いたい、と思っていたのかもしれません……」と。
◇
『個性』
この言葉は、教育や保育において、また子育てにおいてもよく使われますね。
とても心地よく響く、ポジティブな言葉です。
個性は、その子(人)の持っているリソースとして守るべき大切な軸でもあります。
しかし、「個性」だからといって……。
「個性」ならば、そのままにそっとしておくべき?
そうとは言い切れないですよね?
では、どんな時に「NO」か?
それは、生活に支障が出ている場合に、です。
家庭や学校で、地域や社会で暮らす上で生活に支障がある……が多々ある場合、
「生活に支障をきたす個性」では困ちゃいますよね?
誰が困る?…………子ども本人です。
とかく、人間という生き物は、見たいものだけをみる。見たくないものは見ないようにする、というワルイ癖があるようです。
親もしかり。
わが子に何かしらの不都合、いや、障害があるかも……と認め、受容することはとても勇気がいることです。
しかし。
親がそのワルイ癖を都合よく容認し、本来、支援されるべき子どもの不都合(障害)を「個性」にすり替えてしまうと……どうなるか?
子どものせっかくの成長すべきチャンスを奪ってしまう結果になります。
それどころか、二次災害を被るステージがどんどん膨らんでいくんですよね。
親がわが子の成長の障害壁をつくるという残念な事態を招く可能性は大と言わざるを得ません。
ならば、どうするのがベターでしょう?
近年の親、多くの教育者もよくこうおっしゃいます。
「親の役目は、子どもにいい教育を与えることだ」と。
◇
確かに、「教育」は大切です。
家庭教育、学校教育、社会教育……私たちオトナが子どもに施す教育が子どもに及ぼす影響には限りがありません。
ですんで、親御さんはこの「教育はダイジ!」に奔走します。
学習塾はもちろん、習い事いろいろ、個人教授。
学校選びも多岐にわたりますね。
……インド式算数教育、インターナショナル学校、高校留学、語学留学、スポーツ留学留学、最近では「親子留学」なんか超人気。
【ケアリングカフェ@ニュージーランド】にも、「親子留学」のお問い合わせが多いです。ニュージーランドは親日肌に加え、のんびりモード、寛大で手厚いサポートを提供する国として評判がいいので、高校留学、不登校のお子さんの留学には親御さんも安心なのでしょう。学費もリーズナブルですし(笑)
でも、ちょっと待ってください。
大切なのは……私たちに問われている親の役割、責任は、教育だけですか?
もちろん否ですよね?
よい教育を提供するには、よい「環境」があってこそ!
子どものよりよい成長を最優先して「周囲のサポート」を整え、生活をよりよくする環境をつくる!
これこそが、親がすべき重要な役割ではないでしょうか?
(なんだか選挙演説のようになってしまいまちた(;^_^A)
こうたろう君の場合も、彼の個性はもちろん大切だったわけですが、
その個性こそが、生活に支障をもたらしてた?……となると、事態は本末転倒です。
その視点に重きを置き、両親と学校がもっと早くにその子に適した環境と適した支援を提供していれば、こうたろう君をこのような限界の淵にまで追い込まれなくとも、彼の人生は、彼のものとして大切に保障されていたことでしょう。
せいじ君の場合も、しかりです。
せいじ君の不登校のきっかけは、いじめでした。「いじめさえなければ……」という考えは否めませんが、しかし、いじめがなくなってもなお彼の不調は続きました。
せいじ君が初めて私を訪ねてくれた時、失礼を覚悟で言わせていただくならば、
「なぜ、こんな事態になるまで、周囲のオトナはこの不都合に気づかず、放っていたんじゃぁー?!」
と、心中、私は怒り沸騰でした。
「もっと早くに、誰か一人でも、せいじ君の気持ちに気づいてくれていたらば……」
もしも、
もしも、
もしも、
もしも、
といったところで、過去に起きてしまったことはもう塗り替えることはできません。
ならば、どうする? と、考えるしかないわけですけれど、
ー 時には「個性」、時には「障害があるから仕方がない」といった、親や周囲の期待や都合優先での勝手な思い込みや弁明で「これがいい教育!」と勘違いしている方がなんと多いことよ!
ー 子ども不在の状態で「子どものため」を語る親や教育者がなんと多いことよ!
ー 肝心の「人的環境づくり&ネットワーク」はどこにある?!
私は、そんな日本の教育事情を心から危惧しています。
そんな理由から、私はチャンスがあるたび、都度、この事例を、親御さんにお話し、こうたろう君やせいじ君が強いられてしまった「しなくてもよいがまん」を、
どうか、みなさんは、お子さんたちにさせないでいただきたい!
そう願い、個別セッションでもなんどもこのお話をさせていただいています。
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つまるところ、
親が「いい親であろう」と思うように、子どももまた、「いい子どもであろう」
と無理をしているんだなぁ、と私は思うんですね。
いつからどのように、というわけでなく、日常において慢性的に、本人も気づかぬうちに強いられてきた「がまん」。
こころやからだは正直です。
がまんが積り積もった青年期、
ある人には、じわじわと、
ある人には、ひょんな瞬間に「ぽっ……」と、
ある人には、慢性の痛みとなって、
ある人には「がまんの塊ドッカーン!」
↓
不眠、神経症、家庭内暴力、うつ、ひきこもり、自殺
そして、他殺……(´;ω;`)ウゥゥ
さまざまな形でがまんの限界を超過し惨事が起きてしまうのではないかと思うのです。
「ずっとがまんしてきた……」
なんて悲しい言葉でしょう。
そんな言葉をわが子から聞いた時のご両親のショックはいかばかりか。
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子どもたちよ。
がまんのしすぎはいけません。
がまんにも、役に立つがまんと無意味ながまんがあるのだよ。
だから、がまんをする前に考えてみよう。
『このがまんは、自分を幸せにするだろうか?』
……と。
「キミはね、まわりの人の期待に応えるために生きているのではないんだよ」
お父さん、お母さん。
愛するわが子のために良かれと思い、あれこれと手を尽くしたくなるのが親心。
わかります。
子どもがぐ~たらしてると、この先もこんなだったらどうしましょ、って心配になって、ついガミガミと小言を言いたくなりますよね。
で、とどめは、
「あなたのためを思って言ってるのよ!」
って叫んじゃいますよね。
でもそれ、ほんとですか?
(ほんとうに子どものために、ですかね……?)
もし、わが子の反抗期やジコチューぶりにほとほと、めげそうになったら……、
あまりの子どものヤンチャぶりに、チックショーと思ったら……、
自分にこう言い聞かせてみてください。
「あぁ、この子はムダながまんをしていない」
「がまんさせていなくてよかった……」
「わが子よ! こころ全開で、欲もうっぷんもさらけ出したら、言葉を使ってかあちゃんに訴えよ!」
― と★
意外にも、達観できる自分に出会えますからして……どうぞお試しあれ(笑)
警告シリーズ 完
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